山背古道探検隊・探検隊活動記録・あゆみ

'96年の歩み



3月 梅酒探検
4月 準備会発足
諸白仲間発足
6月 川探検
10月 古道正式OPEN
探検隊発足総会



梅酒探検('96年3月9日)

 山背古道で春を告げるのは、城陽青谷の梅林。江戸時代からある由緒正しい梅林です。  その梅林の魅力探りをめざして梅酒探検隊が企画されました。青谷では城陽酒造さんというこだわりの酒づくりをしている名蔵があります。そこでは、城州白という極上の梅を使ってとてもおいしい梅酒「花小枝」もつくっています。酒蔵見学を兼ねてその梅酒を味あおうというのが2つめの趣旨でした。
 梅酒に誘われたのか、冬に飽き飽きしたのか、参加者はなんと50名。小学校の時に青谷の歴史をまとめたほどの郷土愛好家堀井さんを道中案内に長池から青谷まで古道をたどりました。  梅林では生産農家で梅博士の岡本、堀井両氏のレクチャー。梅の木の見方や育て方を勉強。観梅の客を迎えるのには慣れていたお二人ですが、参加者の質問責めに大変喜ばれて「来年も是非来てほしい。」と言われました。(多分、梅酒探検は恒例化するのでしょうね。)
 城陽酒造の酒蔵見学では、シボリの工程まで見せていただきました。しかも! そこで、シボリ立ての原酒をちょうだい。それが、まるでワインのようなおいしさ。これで、日本酒の魅力にとりつかれた方が大勢いたはずです。その後で、諸白仲間が発足しますが、この見学がきっかけの一つとなりました。


山背探検隊準備会発足('96年3月23日)

 市民による探検隊発足の動きが春になって活発になってきました。それまで、山背古道の事業や探検企画は推進協議会が主体となってやってきましたが、古道に関心を持つ市民がだんだんと増えてきました。そして、主人公である市民による市民のための組織やネットワークが必要だという思いが強くなってきました。
 女性が中心となって探検隊呼びかけシンポ=花シンポを開こうという会合が山城町玉台寺で開かれました。
 「子ども達と環境教育に取り組んで、地域のすばらしさを知った。それを残していきたい。」「都会から帰って、始めて地域の良さがわかった。今は小さくてもひとつひとつの宝を大事にするようなことをしたい。」 集まった11人の女性の議論は原点を見つめた活発なものでした。まずは、花シンポに向けて市民の取り組みがスタートした時です。
 その後、人の輪が広がり、それが山背古道探検隊準備会というものになりましたが、その発端となる会合でした。


旗揚げシンポジウム('95年5月28日)

 山背古道車座談会と銘打って、山城町棚倉の涌出宮の拝殿で200人が参加して旗揚 げシンポジウムが開かれました。テーマは「山背古道の謎と魅力」。
メインコメンテーターに京都橘女子大学長門脇禎二さん、京都精華大学の橋爪紳也さ ん、山城町教育委員長中津川敬朗副隊長、杉並区で「知る区ロード」を手がけてきた 木村邦夫さん、歴史好きの高校生久田陽子さん、京都府企画環境部次長の奥原恒興さ んを迎えて楽しく語り合いました。
 「南山城は京都と奈良のとの単なる通過地域ではない。歴史的に見ても風土豊かな 地域で、自分の視点で散策すれば新しいものが見つかるはず」(門脇禎二さん)など 、探検というユニークなキーワードに注目があつまりました。
 以降、山背古道の集まりは、円を組んで親しく話し合うことがモットーとなったの も大きな収穫でした。


山背諸白仲間発足('96年5月11日)

 地域の酒蔵としてユニークの活動をしてきた城陽酒造。その中で、市民と一緒に酒米の田植えから稲刈りをして、それを純米吟醸にして味わう、米づくり、酒づくりが最も代表的なものでした。
 梅酒探検で、城陽酒造と探検隊準備会の仲間が懇意になったころ、市民主体で米づくり、酒づくりができないかという話がもちあがりました。その結果でき上がったのが山背諸白仲間です。市民主体で、地域文化としての酒づくりを考えていこうグループができあがり、活発な活動を始めました。


古道ホームページ開設('96年6月20日)

 山背古道ホームページが花シンポに合わせて準備会から開設されました。トップページのURLはhttp://uxo1.so-net.or.jp/~yama21/。今ご覧になっているホームページの前進です。
 それまでも、小野尚人さんが一人で古道のホームページを立ち上げてくれていましたが、探検隊準備会としてそれを引き継ぎ、できるものが協同でコンテンツを作り更新していけるようにしました。といっても、全員ボランティアですから、思うようには行かず、みなさんにがっかりさせていることもあるかと、この場をお借りしてお詫びいたします。
 めざせ、山背古道バーチャルミュージアム!! ということで、御協力いただける方、大募集です。


手づくりサイン大会('95年10月中旬〜11月中旬)

 山背古道再生の最初の大事業(?!)が、ルートを示す陶板を埋め込むことです。それ も、単にルートを示すだけでなく、発見することが楽しくなるようなものをとの願い から、子ども達の手作りで作ってもらうことになりました。
 4市町の秋のお祭りの会場を借りるなどして、集まってきた子ども達。直径約20cm 、厚さ約10cmの粘土に、思い思いのデザインをしていきます。ルールは山マークを入 れることと、彫りすぎないこと、周囲(2cm)を削らないことだけ。楽しい陶板がた くさんできました。
 陶板はその後1カ月ほど乾燥された後、しっかりと焼成され、自動車がのってもび くともしない堅さとなり、古道に埋められました。どこに自分の陶板があるかを探す 探検も今度企画されることでしょう。
 なお、この大事業、3カ年かけてやられる予定で、最終的には40m間隔で埋められ ることになっています。


花シンポ開催('96年6月30日)

 探検隊呼びかけのための花シンポが城陽市文化パルクで開かれました。
 女性が中心になって、しやかな感性を生かして山背古道の意味を問うシンポ。そして、議論の中から市民のための組織―山背古道探検隊設立の必要性を明らかにしようとしたシンポです。普通の市民が文化パルクのホールで輪になって語り合い、まちへ思いを実現する組織の必要性と方向がだいぶ明らかになりました。
 その輪の回りには、やはり女性が中心になって、地域の個性的なモノを並べた「山背市」が開かれました。普段、何気なく通り過ぎるホールが、活気に包まれるのを見て、城陽市民もびっくりされたことでしょう。
 花シンポに向けて、探検隊発足を呼びかける発起人として、門脇禎二京都橘女子大学学長を始め30名ほどの方が名乗りをあげてくれました。
 山背古道の魅力をそれとなく伝え、探検隊の事業収入にも役立つだろうと作った絵はがきも、花シンポでご披露され、人気を呼んでいました。


山背古道川探検('96年8月3日)

 井手町南谷川で山背古道川探検が開催されました。
 京都芸術短期大学と兵庫県人と自然の博物館の協力を得て企画された探検です。
 井手町は知る人ぞ知る沢蟹の名所。人が自然と調和した生活を築いてきたところは、動植物が豊富なのです。それを再発見していずれは素敵な水辺づくりにいかしていこうという趣旨です。
 夏の暑い日、4班に分かれて、蛍が生息する南谷川で、動植物採集です。まずは里の近辺で。次には2kの山道を歩いて上流で採集。ヤゴを始めさわるのも気持ち悪い水性昆虫探しが、参加した子ども達にとっては楽しい冒険のようでした。最後に、先生の指導解説を受けながら、動植物の分類競争。とっても勉強になりました。


古道正式オープン('96年10月6日〜10月26日)

 !!山背古道が正式オープン!! えっ?と思われる方もおられるでしょうが、96年10月6日が山背古道の正式オープンの日。埋め込みサインがようやく部分的に整備され、一般の人にも訪れてもらえるようになって、秋のこの日が正式オープン日とされました。これに合わせてまちかど案内所や探検地図、山背古道のパンフレットも用意されました。最低限のしつらえが整ったということでしょうか。  オープン記念に「とことんウォーキング」が6日に開催されました。昨年やって好評だったこの企画、古道の知名度が上がってきたせいかあるいはお天気が良かったせいか、昨年をはるかに上回る、約250名が参加しました。  その時の探検報告もなかなか面白いものでした。


   

山背古道探検隊発足総会('96年10月19日)

 念願だった「山背古道探検隊」の発足総会が、木津町のいずみホールで開催され、約80人が出席し、隊の旗揚げを祝いました。  ゆっくりとマイペースで市民のネットワークを広げるユニークな会則を制定。隊長には、山城町教育委員長の中津川敬朗さんが選任されたほか、幹事10名、監査2名が選出されました。  記念スピーチに立った、東樋口京都大学助教授は、「山背古道探検隊は世界的に見ても先進的なまちづくりだと思うが、今後はファッション感覚を重視した活動に取り組んでもらいたい」と激励。歴史街道推進協議会の井戸事務局長からも「奈良と京都の間のこのゾーンが、市民主体で歴史景観づくりの気運が盛り上がっているのは願ってもないこと。今後協調してやっていこう」とエールが送られました。

 

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