山背古道探検隊・山背人・青木正昭の巻

「相楽(あいたのしむ)鹿背山人」

 JR木津駅から東へ車で約10分。気が付くと、焼き物がうずたかく無造作に置かれた小屋の前でした。奥にでんと置かれた窯に取材班は、しばし感激。横にある石段を昇っていくと、にこやかに手を振る青木正昭さんが出迎えてくださいました。青木さんの本業は農業。柿を育てるかたわら窯をおこして、江戸の文政年間から明治時代まで続いた鹿背山焼きを復活させられたのです。

鹿背山焼きとは
 典型的な鹿背山焼きは白地にコバルトブルーで中国風の絵付けがなされていましたが 、青木さんの作品は鹿背山の土だけを使い、うわぐすりをかけて焼くだけのシンプルなものです。試行錯誤の末、シカの背の模様に似た斑点を出すことに成功しました。焼く温度を変えることで、斑点がないものや濃いグレーの器もできるほか、フクロウをあしらった花びんなどさまざまな焼き物が作られています。どの作品も優しい色合いで美しく仕上がっています。
 「私は職人ではありません。だから多少難のある作品であったとしても、もらってくれる人には喜んでゆずりますよ」と青木さんはほがらかに笑います。

交流の輪を広げよう
 「物事は何でも、自分が出会おうと思ってないとそれに気付かずに通りすぎてしまうものです。人との出会いも焼き物との出会いも同じですよ。」と語る青木さんは、焼き物を通してもっと多くの人々との交流の輪を広げたいと考えていらっしゃいます。青木さんの自宅には鹿背山焼きの作品や資料、自作の詩(うた)が展示されています。訪れる人と自分がともに鹿背山を楽しめるようにと「無二鹿楽」と名付け、講演会なども開いてらっしゃいます。地元の幼稚園児や外国人留学生に焼き物の楽しさを味わってもらう実習も恒例になりました。現在、青木さんは江戸時代に米蔵として使われていた郷蔵を自宅前に移築し、郷土資料館として再生させたい、と活躍されています。鹿背山焼きの輪は、これからも年々大きくなっていくことでしょう。

 取材班(け)(に)(あ)(よ)


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山背古道探検隊・山背人・青木正昭の巻 '98.2掲載