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椿井大塚山古墳第4次発掘調査報告

所在地 京都府木津川市山城町椿井三階・大平
調査主体 山城町教育委員会
(現在:木津川市教育委員会)
調査期間 平成8年1月8日〜3月15日
調査面積 160平方メートル

1. はじめに
 椿井大塚山古墳は、全長180mをこす前方後円墳で、古墳時代前期の古墳としては全国でも有数の規模を持ちます。
 昭和28年(1953)、この古墳の後円部を南北に切断する現在のJR奈良線の法面改良工事が実施され、偶然に竪穴式石室が発見されました。石室内からは、40面近い中国鏡が出土し、しかも、そのうち三十数面もが「三角縁神獣鏡」だったのです。このことは、鏡の大量出土だけではなく、その鏡が邪馬台国の女王・卑弥呼の鏡と考えられるがゆえ、一躍、全国の注目を集めることとなりました。そして、椿井大塚山古墳は、古墳の出現と古墳時代の成立を考える上で、極めて重要な遺跡となったのです。
 今回の発掘調査は、椿井大塚山古墳のよりよい活用と保全をめざし、今後4カ年計画で実施する同古墳の墳丘規模確認調査の第1年目にあたります。なお、この調査は、過去に実施された発掘調査から数えて第4次調査にあたり、「椿井大塚山古墳発掘調査委員会(会長 猪熊兼勝)の指導のもと、山城町教育委員会が国庫補助事業として実施しました。
2. 調査の概要
 椿井大塚山古墳は、木津川を望む東岸の尾根上に立地しており、自然地形としての尾根を利用して古墳の形を造る「丘尾切断型」古墳の典型とされています。今回の調査では、この尾根を切断した箇所から古墳後円部の頂上付近にかけて合計3本のトレンチ(発掘溝)を設定し、その構造を探りました。
 調査の結果、従来考えられていた墳端(古墳の端)よりもさらに外側で葺石の面を検出しており、今回の調査箇所では合計3段の階段状の構造をもつことがわかったのです。しかも、その残り具合は良好で、築造当時の偉容を目の当たりにすることができます。
 葺石に使用されている石は、1段目では主に花崗岩(この付近での岩盤の石)の風化したものが用いられ、2段目より上では花崗岩を割ったものや、近くの木津川で取れるような川原石などが使用されています。また、葺石の面の傾斜角度は、水平面に対して約25°程度であり、傾斜面との間に幅約2.7mの平坦面(テラス)をもちます。そして、そこには小石が敷かれていたようです。
 今回の発掘調査で出土した遺物には、二重口縁(口が二段に開く形)の壷や小型の壷があり、いずれも古墳時代初頭の様相をもつものであることから、この古墳の築造時期を考えるうえでの新たな資料を得ることができました。
3. まとめ

・椿井大塚山古墳の構築状況、たとえば、段築構造(階段状の構築構造)などがはじめて明らかになった。
・椿井大塚山古墳の構築年代やその後の変遷を知るうえでの土器資料を、新たに得ることができた。
 いずれにしろ、古墳時代初期の大型前方後円墳としての椿井大塚山古墳の全容解明に、確実な一歩を踏み出したことの意義は大きいものと考えます。

「木津町・加茂町・山城町」は平成19年3月12日に合併し「木津川市」となりました。


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