山背古道探検隊・山背人・藤田宣治の巻

「たけのこ名人・藤田宣治(よしはる)さん」

 「たけのこ名人・藤田宣治(ふじたよしはる)さん」を竹林に訪ねました。山城町の北東・井手町との境界付近,あたり一体は,広大な整備された竹林がひろがります。
 大正15年生まれ。この山城に生まれ育ち「たけのこ」一筋!藤田家の歴史は古く、現在の藤田さんは13代目にあたるそうです。約400年前に,中国から「竹」を持ち帰ってから以降の先祖代々が「たけのこ専業農家」だったらしく、子供の頃から「竹林・たけのこ」と共に育ったので、「竹」なしでは自分の人生はなかったのではないかと、自ら語って下さいました。
 まず最初の驚き!藤田さんは、うまれてこのかた「自宅で食べるたけのこはゆがいた事がない」とのこと。「たけのこ」って、ゆがいて食べるのが常識ですよね。ここ山城の「たけのこ」は、その必要がないんですって!「灰・とぎ汁」を使わなければいけない「たけのこ」は「たけのこ」ではないのか?!  まいったー。近年、中国産物が数多く店先に並んでおり、これはゆがかないとだめの様です。

 美味しい「たけのこ」作りの秘訣は?「土作り」それだけです。ときっぱりと答えて下さいました。若い頃一度だけ失敗があったそうです。同業の先輩からの言葉で化学肥料を、例年になく沢山使った事があるんだそうですが、見事に失敗、この年は見事に竹が枯れてしまったそうです。
 以降、土にこだわり土壌がすべてだと、、、。「どろ」と「砂」を年毎に交互に混ぜていく。5年を経過して初めてその結果が出る。(同時に豊富な地下水も良い環境の様)真冬は「土入れ作業」真夏は「下草(雑木林にある枯葉や腐葉土等)をいれる」たった一度の収穫時期の為に年間を通じての手入れ。その昔は、近くの山には下草を取り尽くしてしまい山城町の東隣の笠置町にその下草を求めて買い出しに、、、。(今は油カスを使用)その下草の運搬は木津川の「舟運」だったそうです。(藤田さんがまだ子供の頃の話)
 「竹」そのものに、栄養が行ってしまうのを防ぐために、ある程度の成長を止める作業があるんだそうですが、このやり方がユニークでしかも神業的?「竹」が数メートル伸びた時期、ようやく「初めての枝」がひょっこり姿を現した時(枝の芽が出る寸前の時期だけ)がそのタイミングで「竹」を揺すぶってやると見事に思った所でぽっきりと折れるんだそうです。そこの位置が、枝を13段から17段だけ残す事になるのだそうです。(私は、てっきり梯子を使って切るのだと思ってました)
 美味しい「たけのこ」の「竹」は7年から8年迄だそうです。藤田さんの「竹林」にはすべて「竹の生年月日」(生まれ年)が記入されていました。

たけのこは生で食べる

 お話の最後にお聞きした言葉。「竹・たけのこ」は正直で裏切らない。(返事はないけれど答えてくれるそうです)人の子供を育てると同じ心で真心込めて、時には厳しく時には優しく。これが秘訣!

 至福の喜びはここにあるそうです。

レポーター:「山城ホタル」の西本五十六でした、、、。

「木津町・加茂町・山城町」は平成19年3月12日に合併し「木津川市」となりました。


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山背古道探検隊・山背人・藤田宣治の巻 '98.5掲載